冬のユーミン、夏のフジロック!
フジロックって、富士山のふもとで開催されたのは1997年の第1回のみなんですね。第2回は東京の豊洲(ベイサイドスクエア)。第3回からは苗場に固定。もう「ナエバロックフェスティバル」に改称したらいかが(余計なお世話ですね)。
ユーミン(松任谷由実)の苗場は、いつまであるんだろう。
1987年7月から1996年2月までの足かけ10年(行かなかった年や夏の2か月だけの年もあり、月数としては30数か月)、苗場プリンスホテルでのアルバイトは私の主たる収入源だった。なんで地元埼玉から離れた苗場でアルバイトしていたのかと言うと。
作成者が中高生だった頃、「オールスター雪の祭典」と言うフジテレビで放送していた番組があった。あの番組が好きでねー、毎冬楽しみにしていました。苗場スキー場・苗場プリンスホテルで番組は収録されていた。スターにしきのや細川たかしなどがスキーの腕を競い、ヤングアイドル(死語)たちはホテル前ゲレンデでソリ遊びや雪合戦。「あそこでバイトしてみたいなー」というのがいちばん大きかったような気がする。
それと、19歳になる頃に専門学校を中退してしまい、当時宙ぶらりんな日々が続いていた。今で言う「ひきこもり」に近い生活状態。何をしたらいいか分からない(働け!)、最初の頃は大目に見ていた親との関係も悪くなって、地元・親からしばらく離れたいというのがあった。そんな時期に苗場プリンスホテルのアルバイト募集を目にした。
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最初に苗場プリンスホテルでアルバイトしたのは、作成者が20歳だった1987年の夏期シーズン。7月25日前後から8月末の契約で、初めて大宮駅から上越新幹線に乗り、越後湯沢駅から国道17号線を路線バスに揺られてホテルが見えてきた時は物凄くワクワクしたっけ。
履歴書を送って採用通知は受け取っていたものの、何の仕事をするのか現地面接まで分かりませんでした。履歴書の希望職種には皿洗い・売店を書いて送った記憶がある。ホテル建物の前に着き、目に入った従業員の方に事務所への行き方を教えていただいて。事務所まで迷路のようだったなー。働き始めてからもしばらくの間、事務所へ行く用事があるたびにちょっと迷子になっていましたね。
管理事務所の上の階の小部屋で待っているように言われ、当時、総務にいらっしゃいました、T村さん(ユニークな方でした)と面接。
「君にはドラッグストアがいいかなと思っているんだけど。どうだい?」
どうだい?なんておっしゃられても、「はい、よろしくお願いいたします!」としか返しようがないじゃあないですか (^_^;)
続きは気が向いたときに……。
下の写真は、初めて行った1987年か1988年の夏にホテル前ゲレンデから撮影した苗場プリンスホテル本館。4号館はまだ片屋根の建物で、1階に「中国料理 錦」があり、ゲレンデ側にカレーショップ、カレーショップの中を通って本館と新館をお客さんも従業員も行き来していた。
この写真では3号館に隠れて見えませんが、当時の2号館は4-5階建てのペンシル型した建物でゲレンデ側に屋外プール。プール営業が始まる前に清掃にかりだされたことがあるなー。この頃の本館の雰囲気が好きだった。

2008年12月21日:カテゴリー変更、文章を修正・加筆。